「真田丸 第40話 「幸村」」感想 幸村誕生





信繁は明石掃部の参陣勧誘に難色を示すが掃部は信繁をある人物に引き合わせる。
信繁の前に現れたのはかっての同僚片桐且元であった。
世相にすっかり疎くなっている信繁に且元は事情を打ち明ける。

今回は大阪の陣の発端になった「方広寺鐘銘事件」を詳しく解説している。
問題になった「国家安康君臣豊楽」の一文は豊臣潰しのための悪質な言いがかりとされているが(歴史小説でもそう扱われることが多い)、最近の研究によると「当時の常識で考えると非礼な事」だそうだ。
本作では非礼と言いがかりの中間ぐらいの解釈らしい。

「草案は見せてあるのだから文句はその時に言うべき。鐘が出来上がってから苦情をいうのは言いがかり」

という大野治長の言はごもっとも。
大蔵卿局の息子で大阪城の有力者である治長は今回が初登場だな。
弁明に出向いた且元に対面した本多正純は鐘銘問題を

「徳川に対する侮辱」

と激しく非難。
一月粘ったが家康との対面もかなわず。
しかし且元の対応の遅さに焦れて使わされた大蔵卿局は家康と会見が許され、家康の対応もにこやかであった。
対応の温度差は徳川の露骨な離間策故なのだが大阪の首脳陣には見破れず、まんまと策に嵌ってしまう。

且元の失脚の原因になった3ヶ条の件は本作では大蔵卿局への反感から出た且元の嘘という展開になっていた。
山岡荘八の小説「徳川家康」では3ヶ条の内どれかひとつを選ぶべきという進言を3ヶ条全部と勘違いしたために事がこじれた設定だった。
永井路子の「王者の妻」ではもう少し詳しく解説されている。
且元は事情を聞きに来た速水守久に

「国替えや秀頼公の参勤は下策。茶々様が江戸へ下られるのが上策と考える」
「茶々様の江戸屋敷の建築に時間をかける。大御所の命も長くはない。江戸には行かずに済むかもしれない」
「行ったとしても数年の辛抱だ。大御所が死ねば全ては振り出しに戻る」
「今は亡き加藤主計頭も同じお考えであった」

と述べている。
結局調停工作の努力もむなしく且元は大阪から追放されてしまう。
且元の追放は和平案の拒否と同義であり、徳川の大阪攻めが決定されたのであった。

且元は追放された後に信繁に会いに来たのね。
大阪城を出た以上徳川に従うしか無いので信繁への勧誘は不味い行動なのだが、太閤への忠義は健在なのであえて危険を犯したワケですな。

信繁は且元の懇願を断るが「きり」に厳しく叱責される。
信繁に対していつも辛辣な「きり」だが今夜は人生最高潮レベルで非難がましい言葉を連発。
信繁も負けずに

「うっとうしいんだよ、お前は」

とブチギレ。あれだけ言われれば温厚な源次郎様も切れるって。
とはいえ

「このまま蟄居先で朽ち果てるより戦うべき」

という彼女の言葉は信繁の心に染みた。
今まで出会ってきた人々を思い出す信繁。人々の思いや情熱を改めて見据え、彼は再び戦う決意をするのだった。

信繁は心機一転改名を決意。
父譲り、兄譲りの「幸」の字を使い、もうひとつの字は大助のクジ引きで決める。
大助が引いたクジは間違えて紛れ込んだ九度山村の「村」の字であった。
ナレーション曰く

「その日信繁は真田幸村となった」
「後に日の本一の強者(ツワモノ)と呼ばれる戦国最後の名将の誕生である」

いやー、改名イベント来ましたね。良かったなぁ。
本作が始まって以来

「幸村でいいじゃん。無理に信繁の名前を使わなくても」

とずーーーーーーーっと思ってたので。
こんな展開になるとは思わなかった。素直に脱帽。
昌幸命名の「幸信繁」も伏線だったのね。昌幸案に従うなら「幸繁」でも良いんじゃねと思うが。
俗説では九度山で幸村に改名したことになってるのでタイミングも良い。
出家して剃髪してれば完璧だったのだが。
大河ドラマ「武田信玄」「北条時宗」も出家はしても剃髪はしなかったからな。頭を丸めるのは無理か。

次回は幸村の大阪城入城編。
予告に物凄く変な顔のあんちゃんが出てた。インパクト強すぎ。加藤諒とか言う俳優らしいが。
話に集中できなくなるので変顔をキャスティングするのはやめて頂きたい。

茶々の妹で江の姉の「初」が登場予定だとか。
担当女優ははいだしょうこ。
名前は聞いたことが有るが顔を思い出せない。
調べてみたら有名な「スプーの絵」を描いた画伯さんだった。
初めて顔を知ったぞ。初はやり手の女性政治家だったが本作ではどんな人物になるのかな。




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